時間という味方

理解することと、思うこととは似て非なるものだ。

思うこととは、腹に落ちて考えるという作業を伴わずして自分の思考に消化できているということ。

悩みや苦しみがあったとき、それを克服しようとする場合は人ぞれぞれだろう。人に相談する、調べる、本を読むなど。私の場合は、本に救われてきたことが多い。

しかし、本に相談しようが、人に相談しようが、理解はできても心が従わないことが多い。むしろ、その方が多いかもしれない。

だから、それを信じるという作業を伴う。自己暗示やノートに書いたりして自分になんとか信じさせるという、自分との格闘になる。

これをせず、無条件に全て信じられるという思考は、逆に幸せだとも思う。分かり易いのが宗教だ。だから、信じるものは救われる、という前提に立たせて、その教義を全てを説くのだろう。

ところで、宗教のように信じ切れるものがない場合は、自分が信じている人や権威から説かれると腹に落ちやすい。

しかし、それがすぐにない場合が問題になる。

では、どうすればよいか。

「時間」が味方になってくれる。時間には説得力がある。

人生は時間で出来ていると思っています。過ごす時間において経験したものが人生の内容で、その内容を良く受け止めるか悪く受け止めるかという心のありようによって、人生は良いものか悪いものになる。

時間はクスリという言葉があるようだが、数年前に悩んでいたことを思い出したとき、今から客観的に見て笑い飛ばせることがなんと多いことか。

すぐに解決できない問題、そもそも解決することをやめるべき問題、そんなものも沢山あるのだろうが、結局のところ、振り返ってみれば、全ては時間の経過がその問題を終わらせているという経験は誰にでもあるのではないだろうか。

そして、時間が終わらせてくれた自分の経験は少なくとも信じることができる。

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