孤独を本当に癒すということ

日曜日の夜だ。

だいたい、精神的にうまくいっていない場合は、日曜から月曜の朝にかけて苦しくなる。

その本質はプレッシャーとか、孤独とか、そういうものではないだろうか。

ところで、ニーチェ―なんだが誰かと一緒にいて安心感を得たい、インスタントな友人(?)を求めて認めてもらいたい、繋がって安心をしていたい、というのは極めて危険な状態にあると自覚すべきだという。

漠然とした曖昧な感じの安心感。

なぜ、そうなるのか。それは孤独だからそうだ。では、なぜ、孤独なのか。それは、自分自身を愛することがうまくいっていないからだそうだ。

だから、とりあえずのインスタントの繋がりを求めても、気持ちの不安は解消されない。

孤独の解消とは、自分を愛することであり、自分を愛するためには自分の力を使って何かに取り組むべきだと。なんでもいい。前向きなことえあれば。

自分の足を使い、自分の力を使って取り組むには、苦痛を伴う。しかし、その苦痛とは心の筋肉が成長している筋肉痛のようなものだと。

人を傷つけるというのは罪だが、その人とは自分も含まれる。人を大事にするということも自分が含まれる。自分を大事にすると、往々にして他人も大事にできる。

孤独を味わっている瞬間、自分の力で何かをしてみる。

今夜は友人が孤独を感じていたことを悟った。だから、前向きで一緒にできる努力をやってみることにした。一石二鳥だと思うのだが。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です