喜び方が足りない

今日一日を生き延びて、無事でいられ、風呂に入って晩飯と一杯やり、夜を迎えたわけだ。

朝、今日一日を幸せに生きると祈願してスタートしているわけだが、さて、一日を振り返って分析してみると、今日も一日、生きて終われて丸儲けだったわけだ。

白骨の御文・伊達政宗の遺訓・内村鑑三・諸行無常の響きありと吉田兼好・ニーチェ・・・、同じことを言っているから心理なのだろう。

さて、今日の終わりの喜びが十分だろうか。感謝は十分なものだろうか。

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