何をしたいか、か、どう生きたいか、か?

20代なり社会人の駆け出しのころは、とにかく目の前にあることを選ばず一点突破して取り組むのがいい。

何をしたいかとか、どうなりたいか、とか、そんな大志や野心であってもいい。それが、後々になって可能性や選択肢を広げてくれるから。

逆に目の前のことを避けて、やることを選びながら生きていることは、何も見えていない年齢なのにもったいないとも思う。

しかし、中年になると少し違う気がしてきた。何をしたいか、ということは気持ちや情熱を、生きる力を与えてくれるから持てるに越したことはない。逆に、そのエネルギーを失っていくことは良くないかもしれない。

だが、それよりも重要になってくれるのは、どう生きたいか、だと思うようになった。本来は、どう生きたいから、どんな仕事をしたい、そういう順番だろう。それが正論というものだ。

現実には、どう生きたいかなんてことは、歳をとってみないと分からないことの方が多い。若いころそれでいいと思っても、特にステレオタイプなカッコの良さそうなものに憧れてるだけのことも多いし、それは後悔するだろうよと思うこともある。自分もカッコだけで選んでたら後悔しただろうと確信している。

難しいことに、しかし、どう生きたいかがこんなに重要なものだったのか、と気づくのは経験して見てきたものから分ってからだということなのだ。

金、地位、プライドなんてものは結局は自分を振り回している元凶であることに気づく。そこから解放されると楽になることも分かるようになる。できるかは別だが。

こういうことを考え始めるというのは、歳をとって考えが老け込んだということか、それとも年の功と呼べるものだろうか。

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