勝ち負けとは何か

お前の方がぶったのが一回多い、お前のかあちゃんでべそ、というのが、世の中そこかしこにある。

子供の世界の話じゃない。一歩引いてみると、大人の方が、社会全体がそんな感じがすることが多い。特に、見栄とかプライドとか高い人は顕著だし、職場の競争もそう、感情的な対立もそう、勝って嬉しく負けてくやしい、という構造が身の回りにはすぐになんでもできあがる。

この感情や心の動きは条件反射的に誰でも出るものだ。自分だって例外でない。

しかし、自分に言い聞かせるわけだ。何に対する勝ち負けなのか?、と。

人を見ていて、どんな偉い人でも、評価の高い人でも、「試合に勝って、勝負で負ける。」という風に見えることもあるし、自分を顧みることもしばしばだ。

本当に勝つべきなのは、勝負ではないのか。では、その勝負とは何か。自分が決めた、自分が幸福と感じることに繋がる、或いは、幸福そのものをおいてないのではないのか。

試合に勝つというのは、どこまでいっても〝相手に勝つ”に過ぎない。相手に勝つことによって、本当の勝負で得られることがどれほどあるのだろうか。

そうでなければ、負けても何の問題もないのではないか。

相手があるのだからあくまで自分以外との第三者との判断軸による争いだが、個人的に本当に勝ち得たいものは主観的なもののはずなのではないか。そうであるならば、相手との勝ち負けにこだわることが本質的なことだろうか。

といっているうちに、「負けるが勝ち」という言葉があったな、ということを思い出だしたわけだが。

今、自分が落ち着かない原因とは何か、気になってしかたのないもの、腹の立つこと、叩きのめしたい感情、誇らしい気持、恥ずかしさや後悔、などは本当に個人の判断軸によるものなのだろうか。

勝ち負けに拘ってがんばってみるのは悪くないが、勝つべきものは相手との試合なのか自分が得たい状態を求める勝負なのか。誰の、そして、何のための勝ち負けなのか。

それで、なんとなく気持ちが変わることがある。表面的に腹立たしいことでも、「あー放っとけ」という気持ちで勝利の気分に浸れることも少なくない。

そうすると、負け組とか勝ち組とかいうけれど、真の勝者とは何かが変わって見えてもくる。

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