高いところからでは見えない

あまり好きではないが、ある女性の著述家というか評論家というかよくテレビに出ている方が変なコメントをしていたので気になったわけだ。

一番気になっているのはニュースそのものではあるが。原因を間違えると、解決方法を間違える。

低所得者ほど入院率が高い、というニュースだった。これを件の評論家は、「低所得者は情報弱者だから、情報弱者が問題ということだ。」と切り捨てていた。

「?」が100回ほど頭の中を巡った。演繹的でも帰納的でもなんでもないその論理とは何か?

問題の本質は、所得が苦しいと立場が弱いから労働でこき使われるとか、食費を切り詰めるのに健康的な食生活を送りにくいとか、ストレスや環境への余裕の違いとか、金持ちはスポーツジム行っているからとか、そういう庶民の問題が先にあるのではなかろうか。

お金があればなんでもいいわけでもないし、それが人間の価値をはかるものでもなんでもない。お金が幸せを決めるものでもない。

ただし、物心の両方において、より健康的な生き方はどちらがしやすいか、という意味では現実問題としてのりかかる。生活の糧のために、健康をおしてでも働かなくては、という人だって出てくるだろう。有給ないから熱を出しても休めば給料が下がるとか、そういう人もいる。食費を切り詰めるのに、カップラーメンが中心の人だっている。

必要なのは、健康的な生活を心身ともに送ることができるセーフティーネットではないか。

ようは、情報がどうとかそんな問題なんかじゃないのではないの?と。テレビの向こうで涼しい顔してもっともらしいことを言われると、なかなか面白くないこもある。

今どき情報量の問題はあまり意味はない。情報の質と理解力は問題だが。ただ、この一件は情報弱者がどうこう言う問題ではないのでは。

文化人なら文化人らしく、ピケティさんのいう資産所得の成長率>労働所得の成長率をどう思うのか、これを考えずに適当なことを言っていると、それこそ情報弱者の誹りを免れない。

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