そこそこ、大人になっていれば自分の欠点や恥部を自覚しているだろう。
それを見つめる勇気があるかどうかは別として。
しかし、歳を重ねるとそれらが自分の人格と人生の集大成として積みあがっていくのだ。それに、ある日、実感を持って気づく日が来る。
自分が思い上がって丁寧に人と接してこなかったことは、それが今の状態を作っている。
さて、後悔するのが良いのだろうか。見つめる勇気など関係なく、直面するその日に。
後悔は不要だろう。必要なのは反省だ。
あたりまえだが人間は死ぬまで生きている。生きるというのは、過去でも将来でもなく、まさに今そのものだ。
だから、今やればいい。
こういうのは簡単だが、人間は変わるのは難しい。習慣に支払いされているからだ。
習慣を変えるしかないのだ。
だから、習慣を変える気と実行、継続する努力で人間は変わる、そう思っている。
私は今、習慣を変える努力をしている。
さきほど、営業の電話が家にかかってきたが、落ち着いて丁寧に断ることができた。今までなら、乱暴に断るかクレームすることもあったろう。
さしたる問題でない、と侮るなかれ。これが習慣の支配と習慣の積み上げ、そして、それによって人生はできあがると思われる。